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鬼才の艇は、強すぎた。

 14フッターは、1920年頃、イギリスのディンギーとして生まれた。
 1927年、カウズで第一回プリンス・オブ・ウェールズ・カップ(P.O.W.杯)が41艇参加のもと開幕。このレースが公での国際14フッターのスタートである。
 翌28年、I.Y.R.U.(International Yacht Rule Union)の国際クラスとしてP.O.W.杯が行われた。この時優勝した、「アベンジャー」こそ、鬼才フォックスの手による史上初のプレーニング艇である。
 「アベンジャー」は、同年の57レース中トップ52回、2位2回、3位3回と言う驚異的な成績を収めた。以来、あまたの設計家やセーラー達が、「より速い」艇を求め、心血を注ぐことになる。


はじめにフォーティーンありき。
 海のフォーミュラ・マシンと呼ばれ、何よりも「速く走ること」を優先させてきたフォーティーン。その歴史は、ディンギーの歴史そのものと言ってよい。
 軽量センターボード、ブームバング、ハリヤードのマスト内装、メタルマスト、合繊セイル、そしてトラピーズなど、今日、常識とされている艤装のほとんどを、ヨット界に先駆け、積極的に採用した。14フッターは、常に時代の最先端を走り続け、乗る度に新鮮な感動を与えてくれる。


14フッターのセーラーが夢にまでみるカップ。
 世界で一番速い14フッターのセーラーに贈られるのが、プリンス・オブ・ウェールズ・カップ(P.O.W.杯)だ。
 その歴史は、優に半世紀を超える。ディンギー界でのフォーミュラ・レースの面白さを世界に伝えてきた栄えあるタイトル。
 このカップをめぐり、数えきれないロマンが生まれた。


栄光は、34年かけてやってきた。
 長い歴史を誇るプリンス・オブ・ウェールズ・カップ(P.O.W.杯)のなかでも、1969年の大会は、とりわけ人々の心を揺さぶった。
 この年の覇者は、ウォルフ兄弟。14フッターに魅せられた彼らは、1936年以来、P.O.W.杯に挑戦し続け、34年目にして初めて栄光のカップを手にしたのだ。
 その間、2位2回、3位5回、4位2回、5位1回、6位3回、と常に上位に顔を見せていた。裏をかえせば、P.O.W.杯をとることの難しさを、この数字は物語っている。
 ウォルフ兄弟の生涯をかけた偉業は、セーラー達の間で、長く語り継がれていくだろう。

1974年夏、猪苗代湖に一艇の美しいヨットが浮かんだ。
 このヨットこそ、日本における国際14フッターの第一号艇である。優美なスタイル、矢のように早いスピードは、たちまち猪苗代湖のヨットマンを魅了した。
 以来、猪苗代湖は、日本における国際14フッターのメッカとして成長してきた。1984年からはイギリス、カナダ、アメリカなどから国際14フッターの選手を招き、猪苗代国際ヨットレースを開催。第一回大会は、イギリスのJ.P.パドニーが、第二回、第三回大会は、カナダが連続優勝した。
 そして1987年には猪苗代湖に於てアジア初の国際14フッター世界選手権大会並びにPOW杯が開催にされたのである。

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