6月16日 | 第一陣出発! |
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喜田さんパスポート忘れ、萩原、西間長老2人と、古垣別便で出発。ヒースロー空港近くのマリオットホテルへ到着。
町に出る時間はなく、時差ぼけ解消のためホテルのジムに行って汗を流し、レストランで食事をしてワインを飲んで寝た。
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6月17日 | イッチェナー到着! |
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イッチェナー・セーリング・クラブ
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空港で古垣と待ち合わせ、レンタカーを借りて3時間位でイッチェナーへ、艇が到着していることを確認し、艇の重量を計測した。
猪苗代ワールドで優勝したジェームズハートレーの実家、その他2軒に別れてホームステーすることとなった。その日は隣のジェームズハートレーの別荘でガーデンパーティーが開かれた。
イギリスの14乗りはなぜみんな金持ちなのか昔から不思議だった。イッチェナーSCが別荘地に立地しているため、メンバーは当然お金持ちであることがよく分かった。
夕方、鷲尾、喜田、和田、から連絡が入り、空港のトラブルでパリで一旦降ろされてしまったため、古垣がヒースロー空港まで迎えにいき、午前2時ごろ到着した。
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6月18日 | インビテーションレース |
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名前は忘れたが古い持ち回りカップを賭けたイッチェナーSCのオープニングレースがあった。
チチェスターの湾外でトライアングル3周した後湾内のブイを回ってクラブの前でフィニッシュするロングレース、お互いクルーが来ていない萩原西間で組んで出たが、風が12[m/s]程に上がり、数え切れないほど沈した後に、レスキューボートに悪いのでリタイヤした。
優勝はロディーブリッジ、カップに入れたシャンパンを飲ましてもらった。
柳沢と三瓶をチチェスター駅まで迎えに行った。
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6月19日 | チームレース(1日目) |
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イッチェナーSCはチチェスターの湾内の奥、数百メートル水路を入ったところにあり、干満の差が激しく、水路は川のようになる。湾内は浅くチーム戦を行ったコース内でもセンターボードが座礁してしまうところがある。
この日からチーム戦が始まった。9チーム総当たり2戦で、ラウンドロビンは合計16レースを行う。初日は4〜9[m/s]の変化の大きき風の中、6レースを消化した。
結果はイギリス1、イギリス2、オーストラリア1に負けて、オーストラリア2、スイス、アメリカに勝って3勝3敗と幸先の良いスタートを切った。この日、風の弱いときに勝てる可能性のあるチームと対戦できたことはラッキーだった。アメリカとは着順は同点だったが、アメリカが1位を取ったため日本の勝ち、チーム戦の面白いところである。
夜はチチェスターで中華を食べた。
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6月20日 | チームレース(2日目) |
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チーム戦2日目、カナダ、イギリス2には前半善戦したが惜しくも破れ、アメリカとの2回戦は今度は同点で負けと思われたがアメリカにリコールしたチームがあったため勝った。
ドイツにはJPN101が独走してJPN99がこれを逃がす形で勝ったと思ったが、JPN99がリコールしており負けてしまった。
オーストラリア2にも再度勝って、2日目を終了した時点で5勝8敗で9チーム中5位につけた。
ジェレミーパドニーの別荘でバーベキューに招待していただいた。
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6月21日 | チームレース決勝 |
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この日風が強く、ラウンドロビンは中止となり、イギリス1VSオーストラリア1のファイナルのみが行われた。我々はロジャーブリッジの誘いで、チチェスター湾の上マークそばの砂浜にレースを見に行った。15[m/s]の中スタートラインにつけない艇もあるなかスタートした、イギリスチームではジョナサンパドニーが1艇でがんばっていたが、強風が得意のオーストラリアが2勝して優勝した。
ラウンドロビンを全て行えなかったため、正式な順位は出なかったが、コペンハーゲンで初勝利して以来過去3大会で勝った数を上回る勝ち数を上げることができた。そろってJPN99なみの走りができればセミファイナルに進むことも容易であるという感触を得た。
チーム戦の表彰式はポーツマスに停泊している、100年以上前の戦艦HMSウォーリァー内で行われた。
例年チーム戦の表彰式では各国の芸が披露される。ドイツが綱引き、アメリカがフラダンスを行った。古垣がスイス主催のバウスプリットを用いたホルン吹きで喝采をあびて優勝した。日本チームは事前には打ち合わせていなかったが。直前にTOKYO SHOCK BOYS(電撃ネットワーク)を行うことを決めて、柳沢、三瓶両氏の捨て身の芸でかなりうけをとった。柳沢はその時の後遺症が癒えず、いまだにイタガユイ日々を送っている・・・。
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6月22日 | いざBeerへ! |
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約1週間滞在したBeerのトレーラーハウス村
坂がきついが、周りは牧場で環境は最高!
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朝早起きをして6艇積みのトレーラーに積み込んだ。このコンテナは輸送業者のもので、かなり良くできているが、日本では商売として成り立たないだろう。
午前中にイッチェナーを出て、夕方ビアに到着。こじんまりした田舎の漁村で、町を上げての歓迎ムードである。
ビーチは砂ではなく直径4cm位の玉砂利で勾配もきつい。昔聞いたペベンシーの話を思い出し、これかぁ思った。明日からの出艇着艇が思いやられる。
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6月23日 | プラクティスレース |
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浜が玉砂利なので、出着艇が大変。
着艇後はみんなの船をかついで上げた・・・。
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プラクティスレース
ソーセージ、トライアングルを2回とソーセージでフィニッシュ。
上マークが3個ある。わかりにくいと心配したがオレンジ、黒、黄色の順番で以外とわかりやすい。
下里、石田登場。
マリナホールと称する公民館の様なところで、オープニングセレモニーがあった、各国の代表が少女からペナントをもらったが、古垣が妙ちゃん達を迎えにいったので、私が役得にあずかった。
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6月24日 | 第1レース |
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快走するJPN91(西間・柳沢組)
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第1レース、JPN91はスタートライン本部船付近で他艇と接触して沈、スタートに出遅れるが結果的に風が振れて、下スタートを切った艇よりさほど遅れなかった。
夕食はレストランを求めて、シートンの町まで行ったが、入れる店が無く、結局レストラン組みと、中華テイクアウトに別れ、我々はシートンのビーチで車座になって中華を食べた、あまりの空腹とうまさに、食べ終わるまで散歩をするご老人たちの目が冷ややかな事に気がつかなかった。
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6月25日 | 第2レース |
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第2レース、5メートル程の軽風、珍しく良いスタートができた、周りの景色が違う、しかしクローズが遅い次々に抜かれていく、あげくの果てにフィニッシュラインでマークタッチ50艇位に抜かれただろうか。
貝道さん到着、明日のワールドミーティングに向けてチャールズ、コリンと下打ち合わせを行う。
レストランで貝道さんにご馳走になった。
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6月26日 | 微風(?)でレース中止 |
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風が弱いために、出艇見合わせ、午後2時にその日のレースは中止となった。弱いといっても4[m/s]くらいはある、日本だったらやってるな。実際その後、もっと弱いなかでレースをすることになる。
ワールドカウンシルミーティングが行われ、2003年和歌山開催が満場一致で承認された。
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6月27日 | POW(プリンス・オブ・ウェールズ杯) |
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この日POW(プリンス・オブ・ウェールズ)杯が行われた。POW杯は個人戦にはカウントされない。個人戦よりさらにトライアングル1周長い、風が順風でマーク間が短かったせいか、さほど長く感じなかった。
ビアの町のレストランに分散して食事をした。われわれはイタリアンレストランに行った。ハウスワイン赤白共に不評だった。私はタイカレーを食べたが結構おいしかった。
そこに置いてあった、過去のPOW勝者のリストを見たところ、1987年の勝者はチャールズスタンレーではなかった。ということは、唯一国外に持ち出したと思っていた猪苗代のPOWは名前を借りただけであった、ということが判明した。
食事の後、マリナホールでで表彰式があったが、イギリスのうちわ受け大会になることが予想されたので参加しなかった。
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6月28日 | 第3レース&第4レース |
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26日中止となったため、この日は2レースが行われた。順風であった、成績はまあまあだったが、、んんーん覚えていない。
夜はお好み焼を作って食べた。
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6月29日 | 第5レース |
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朝からまったく風がなかったが、無理をしてレースを行なった。出艇からまったく風がなくレース海面にたどり着くのに苦労した。3〜4[m/s]のなかスタート、JPN99は出艇時に特別なチューニングを発見し、1上から10位前後の好位置につける。トップ集団が3下へ向かうところで風が無くなり、周回遅れの我々と共に下マーク付近はごちゃごちゃとなる。日本でもこの条件ではノーレースであると思いつつわずかな風をひろって、トップ艇がフィニッシュ、JPN99は7位と大健闘。私とえいば、次にフィニッシュというところでタイムリミットとなってしまった。
ポールビーカーがBBQに誘ってくれたが、レースの終了が遅くなったため、BBQは中止、レストランに食べに行った。道路を封鎖しての樽ころがしなどのイベントで町はお祭り騒ぎだった。
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6月30日 | 最終日・表彰式 |
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日本チームは全部で4艇8人。
お疲れ様でした・・・。
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最終日朝から風が弱く、昨日のこともあって皆やる気がない。結局、予定されていた第6レースはノーレースとなって夕方までにコンテナに積載する事ができた。
表彰式はシートンのホールで行なわれた。優勝はアメリカのKris Bundy,Jamie Hanselerアメリカ勢の優勝は私の知っている範囲(過去20年)はない。準優勝は同点Colin Goodman,James Storey。3位はPOWを獲得したZeb Elliott,Dan Johnsonであった。
強風を得意とするオーストラリア勢は振るわず、最高位21位、メルボルンのチャンピオンは43位であった。日本人最高位はJPN99の古垣・鷲尾組の31位であった。
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